私は33歳で先日まで専業主婦をしていました。
先日までというのは、つい最近、離婚することが出来たからです。
離婚することが『できた』というのは語弊を感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、私にとっては人生の再スタートとなったので離婚できたで良いと思っています。
元旦那に出会う前に元カレとの別れ
元旦那と出会う経緯の前に、私の恋愛遍歴として元カレとの交際についてお話ししたいと思います。
7年付き合っていた元カレとは結婚の約束もしていて、彼のためなら何でもするつもりでいた私は、彼のアパートの電気代や家賃の支払い、普段の食費、服、ゲーム等すべて自分の給料で支払っていました。
高校生の頃から付き合っていたので、あまり常識もない中での交際だった為、それがおかしいとは全く思っていなかったのです。
5年目からは遠距離恋愛をしていたので、会いに行くのもだいぶ費用がかかったと思います。
そして結婚を視野に入れて彼の近くに引っ越し、いよいよ結婚だと思った7年目に事件が起きました。
それは、彼の浮気相手からの連絡です。
なんと結婚の約束も交わしていて、私のことが邪魔なので別れてくれという内容でした。
彼を信じていた私はその連絡を受けてとてもショックをうけたのですが、彼はあっさりとそれを認めて、
いい加減気が付いてると思ったと鼻で笑い、別れを告げられました。
元旦那との出会い
そういった別れを経験した当時の私は、兎に角裏切られたことが悲しくて、食事も喉を通らず、毎日職場でも泣き通していました。
周りも心配して、友人が毎日泊まりに来てくれたり、母親も電話をしてくれましたが、そんなことは当時の私にとっては何の解決にもなりませんでした。
そんな時に職場の先輩が見かねて飲み会に誘ってくれたのです。
合コンでもないし、地元の友達と会って飲むだけだからと誘ってくれた飲み会でした。
まだ男の人を信じることは出来ないし、付き合う気持ちもなかったので、合コンじゃないならと参加することにしました。
本当に、ワイワイ楽しく飲むだけの飲み会だったのですが、そんな中1人静かに飲んでいたのが元旦那です。
私はあまり騒ぐ気にはなれなかったので、そんな風に静かに飲んでいた元旦那の陰に隠れていることでとても安心したのを覚えています。
その時は会話は全くなかったのですが、その日のことを後日職場の先輩に話すと、元旦那と会う機会を別で作ってくれたのです。
気乗りはしませんでしたが、まぁ気晴らしにはなるかなと会うことにしました。
優しさがとても身に沁みた
先輩はその当時付き合っていた彼氏と元旦那が友達だったこともあり、4人で花火大会に行こうと誘ってくれたのです。
日頃、楽しいことも楽しいと感じなくなっていたので、あまり気は進まなかったのですが、そんな状況を変えないといけないとは思っていたので、自分から話をしようと意気込んでいました。
待ち合わせの場所で会うと、飲み会では静かに喋らなかった彼でしたが、私を見るとニコニコと笑いかけ、沢山話をしてくれました。
きっと無口な人だろうと思っていたので、自分が話さないといけないと思っていた私はそれだけで気が楽になりました。
祭り会場でも、バックを持ってくれたり、食べたいものを買ってくれたり、人混みに紛れてしまわないように先導してくれたり、とてもやさしくて頼もしく感じました。
祭りの後は、彼に送ってもらうことになり、車の中で元カレの話も沢山しました。
ほかの男の話なんて本当は聞きたくなかったかもしれません。
でも、彼はそんな私の話を遮ることもなく、ただただ「辛かったね」と聞いてくれました。
優しさに惹かれて
そんな優しさが身に染みて、少しずつ惹かれていくのを感じたのを覚えています。
連絡先を交換して、辛い時には連絡してくれていいからと言ってくれました。
なので、眠れない夜等は連絡をして、ドライブに連れて行ってもらったり、食事はまだ喉を通らなかったので、カフェに行ったりしました。
そんな関係を続けているうちに、この人のことを信じてもいいかもしれないと思った私は、彼からの交際の申し込みに喜んで応じました。
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付き合ってからもとても優しくて、毎日のように会いに来てくれたり、少しずつでいいから食べようかと、無理をさせない形で私に食事を勧めてくれて、私も少しずつ食欲が戻り、笑う回数も増えるようになりました。
ただ、その頃から彼の様子が少しずつ変わってきたように感じます。
付き合って3か月ほどで彼は自分はやりたいことがあると言い出しました。
昔からの夢だった仕事をしたい、だから今の仕事を辞めて専門学校に行くというのです。
私は特に何も考えずに夢があるならそれを応援するといいました。
ですが、その日から彼は私の家に居候することになったのです。
ヒモ生活からのモラハラの日々
私の家に完全に居候を始めた彼は宣言通り、仕事を辞めて専門学校に通い始めました。
貯金があったわけでもなく、奨学金を借りての入学だったのですが入学金が足りず、私が50万ほど出すことに。
「ずっと一緒に居るんだから、今は出してくれるよね。」
今となってはおかしいとわかるこの言葉ですが、私にとっては暗闇から引きずり出してくれた彼とは、別れることは絶対にないと思っていたので快く承諾しました。
しかし、このあたりから彼の性格が変わっていきます。
気に入らないことがあると暴言を吐くようになり、態度で威圧するようになったのです。
優しかったはずの彼を変えてしまったのは私、私がしっかりすれば優しいままの彼でいてくれる。
そう思った私は、彼を怒らせないことだけが自分の使命のように感じるようになりました。
結局彼が専門学校を卒業するまでの間、生活費に加えて足らない分の学費は私が支払い養う形をとっていました。
そして、常に暴言を吐いているわけではないので、優しいところもある彼のことが大好きだった私はプロポーズも喜んで受けてしまったのです。
地獄の日々からの脱出
結婚が決まってからは更に辛い生活が待っていました。
考えなしにやりたいことをやる彼は、資本金も無しに借金を作って事業を始めました。
やりたかったことなのだから応援してあげなくてはと思った私は当時貯めていた貯金を全額彼に渡し、
私の両親から生活費を貰うという生活をしていたのです。
それでも彼は、それが当たり前のことだと私に言い聞かせました。
しかし、世間を知らない旦那が始めた事業がうまくいくはずもなくすぐに閉業。
借金だけが残り苦しい状況になり、私の両親に頭を下げて私の地元に二人で引っ越すことに。
それからは、
「お前のせいでこんなことになったんだ。」
「お前さえいなければうまくいったのに。」
「結婚するんじゃなかった」
「本当に俺をいらつかせる天才だな。」
など心に刺さる言葉を日々言われ続けました。
結婚は辛いものとも聞きますが、あまりにも辛かった私はネットで検索をかけるとそれがモラハラであるということを知ったのです。
そこで目が覚めました。
そこからは絶対に別れたくないという旦那の暴言に耐えながら、弁護士に相談しながら離婚をしました。
離婚後…
結局、私は共依存体質だったのだと思います。
元カレにしろ元旦那にしろ、私がそういう体質であることをよく知っていたのでしょうね。
元カレはDVもありました。
本人たちには全く悪気はないので、離婚した元旦那はまたいつか結婚しようねとさえ言ってきますが、もう絶対に無理です。
今はとにかく辛くて悲しい気持ちもありますが、このまま誰かに出会ってもきっとまたモラハラ被害者になってしまうだけだとさすがに学びました。
今は、カウンセリングに通い、精神面が自立できるように訓練中です。
今はだれも信じられませんし、モラハラ被害の後遺症で元旦那の暴言がフラッシュバックしてしまうことがあり息苦しく感じることもある状態です。
でもいつか、自分が自立することができたときに、幸せな家庭を一緒に築くことのできる誰かに出会うことができたら幸せだと思っています。
今は私のことを心から支えてくれた両親に親孝行をできるように頑張りたいと思います。