こんな50代でも結婚できたのか!?

恋愛
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50歳になる会社員男性です。地方の進学校から、実家は兼業農家でしたが、もう農家が周りに殆どいなくなり、将来がないと考え、手に職と学歴が欲しくて、大学で上京、工学部で専門を修得後、技術系会社員としてメーカに就職しました。その後、別メーカに転職し、今に至ります。

一貫しているのは専門と開発設計技術者であることです。

あまり恋愛は疎い方だと思いますが、純粋な気持ちを忘れないようにしたいと思っています。

忘れられない初恋

五月雨は緑色・・・好きだよと言えずに初恋は、ふりこ細工の心、放課後の校庭を走る君がいた。

村下孝蔵さんの「初恋」と言う歌をご存知でしょうか。

私の初恋は、まさにこの歌詞そのものでした。

それまで服装も自由で遊んでばかりいた小学生が、急に制服を着て、部活動に入り、勉強に励む。

そんな中学生となる時の出来事です。

初めての席順で、隣が彼女でした。

彼女は、陸上部で、私は、野球部。

私は毎日、彼女を笑わせるのが楽しみで学校に行っていました。

勉強も出来ると、凄い尊敬してくれるから頑張りました。

仲良くなって、席が離れても、その後、クラスが分かれても、高校が、 男子高と女子高になっても友達でした。

そう友達のままでした。

好きだよって、言えなかった。

でも、好きでした。

高校2年の夏に、将来の事を話すようになりました。

そして、お互いの道が違うこと、 私は大学で上京、彼女は地元で就職を希望すること等を確認し合い、段々、疎通になりました。

好きだよって言えばよかったと後悔していますが、あの頃は、怖くて、彼女の笑顔を失いたくて、楽しい友達のままで満足していて、言えなかったです。

でも、この初恋は、私を成長させてくれた 良い思い出です。

青山墓地ナイトハイキング

大学で上京して2年目、私は大学の福祉系サークルに入部しており、近隣のJ女子大と合同活動を行いました。

その中で、青山墓地をナイトハイクと言う伝統の企画があり、2年生は3年生と一緒に主体的に企画を進めていく立場にあり、毎日、準備で四苦八苦していました。

その準備のころから、J女子大のメンバーの中で、何故か意気投合する女子がいました。

彼女も同じ地方出身でした。

笑わせると凄く元気が出て、悲しくも・・・上京する前に地元で、進路の違いから疎遠になった仲良しだった女子と似ていました。

そして、青山墓地ナイトハイク当日、男女二人のペアで夜の青山墓地を学校まで散策しました。

本来なら、女子がキャーとか言って男子に抱き着くパターンでしょうが・・・

私たちは真逆でした。

私はオバケとか暗い所が苦手で、ビビりまくり。

マジで怖くて、男の私が彼女に何度も抱き着いていました。

情けないです。

でもその後も、彼女とあちこち、私たち双方の友達も入れて、遊園地や映画館等、色々デートしました。

特にハマったのは、府中や大井等の競馬場ですね。

彼女の笑顔を見るだけで、楽しかったです。

でもそんな彼女は短大で、先に就職で地元に帰ることになり、疎遠になりました。

人生の節目節目は別れがあり、辛いものだと実感しています。

でも純粋な恋愛は、いつも人を成長せてくれます。

まだまだ人生これから、希望をもって歩んでいこうと誓った小生20歳の春でした。

最初で最後のお見合いパーティー

大学卒業後、メーカの工場で技術者として就職しました。

就職後、しばらくは仕事を覚えるだけで余裕がなく、恋愛どころではありませんでした。

当時住居は会社の独身寮で、就職後2年程が経った頃、会社の仲間からお見合いパーティーなるものに行きませんかとの誘いがありました。

今までそんなところに行ったこともなく、振り返れば、ずっと男子校、工学部、工場と男ばかりの環境下にあり、仲良くしてくれた女子は、中学の時に知り合った子と大学の合同企画で知り合った女子大生だけでした。

なんとも経験不足が否めない自分自身がそこにありました。

でも、勇気を振り絞って、参加しました。

男として生まれたからには、これは一世一代の大仕事です。

と言うのは大袈裟かもしれませんが、それくらいの気持ちで頑張りました。

結果、ボロボロでした。

パーティー参加の女性は、憶測ですが、サクラでした。

それでも、色々指摘を頂きました。

おとなしすぎる!

服装がダサい!

顔が暗い!

真面目過ぎてつまらない等。

・・・そうです。

私はいつのまにか、つまらない人間になってました。

女子が周りにいると笑わせようとするのが昔の自分でした。

それが段々、女子がいない環境下になり、私は人を笑わせることを怠るようになりました。

基本はやっぱり笑いなんですね。

最初で最後のお見合いぺーティーの結果は惨敗でしたが、基本に立ち返らせてくれる良い機会でした。

お見合いと真剣交際の末

なんとなく真面目に生きてきた私も、大学卒業後、実家の農家も継がずに大手メーカの会社員になり、20代も半ばを過ぎ始めると、お見合いの話が來るようになりました。

そして、26歳の時、意を決して、人生初のお見合いをしました。お相手の女性とは、その工場のある地元では名の知れた料亭にて、お見合いしました。

相手は一つ年上で、地元銀行で窓口業務を担当している女性でした。

窓口なので、笑顔がとっても台本通りとでも言いますか、大変素敵でしっかりた感じの綺麗 な女性でした。

正直、地味で暗い私には、もったいないくらいで、身分不相応なのではないかと悩みました。

また、綺麗な大人の女性とのおつきあいは、全く経験なしでした。

しかし、彼女は芯のしっかり した女性で、ブレないと言うか、強気と言うか、我がままと言うか、やはり自分には合わないと思いました。

そこで、私にはもったいないと言う理由で、丁重にお断りしようと実家の両親と相談していました。

すると、彼女の方から、結婚を前提にお付き合いしたいとの申し入れがありました。

とても複雑な心境でした。

その後、数回ですが大人の関係にもなり、お付き合いは3年ほど続きました。

結局、実は昔の彼氏 に捨てられた話や精神的に病んでいる等の色々問題があり、後にもっといい人が見つかったようで、お断りも彼女の方からあり、結婚までには至りませんでした。

一生の伴侶は、疲れない人が良いですね。

年上女性との思い出

大学卒業後、会社員として工場勤務して、三十路に入ると、お見合いの話は殆ど政治的なものばかりで、直感的に良いと思えるようなまともな話は来なくなります。

お見合い相手の女性にも失礼ですが、どっちもどっちと言いますか、くせもの大集合状態になってくるのは、きっとお見合い経験者ならおわかりでしょう。

人として、純粋な恋愛が出来るは、きっと25歳くらいまでなんだと自分は勝手に思います。

逆にそれ以降で、まだ純粋な恋愛とか言うのは、逆に気持ち悪いのかもしれません。

そうこうしてるうちに、30歳になり、自分の手に職を使って、生まれ故郷に戻ってUターン転職して、そろそろ結婚相手を探したいと思い始めた頃、ネットのお見合いサイトに登録し、知り合った女性が、隣県でしたが当時32歳で学校給食の献立を考える公務員の栄養士さんでした。

ぶっちゃけ、顔としては猿かゴリラ系で、お世辞にも綺麗とは言えませんでした。

なんとなくいつも怒った感じの顔だったので、一緒にいても気まずかく、損してる気がしました。

でもそんな彼女でも、私が笑わせると嬉しそうな笑顔をしてくれて、それを見てると、私も幸せになりました。

その笑顔を私しか知らんけんねと言った自負もありました。

もっぱら二人でデートはドライブで、約2年ほど、おつきあいしました。

大人の関係も試みましたが、体は正直でした。

これでは子供は出来ないけど、それも運命かなとか自分に言い聞かせていたころ、妻になる女性と出会ってしまった。

そして、私は英断せねばならなかった。

どうするのか。

そして、全部正直に話しました。

最後まで彼女は笑顔で受け止めてくれました。

申し訳ございませんでした。大人の恋愛も辛い。

妻との出会い

会社員生活10年が経ったころ、妻に出会いました。

その頃、別の女性とお見合いサイトでお付き合いしていました。

しかし、妻からの申し込みがあり、会うことにしました。

結果は、いまだかってないインスピレーション、共感、すべてマッチしました。

別の女性にはお断りを申し入れ、受諾してもらいました。

その後も妻との交際は順調に進み、今では結婚15年で子供も二人おり、幸せに暮らしております。

人生はうまくいかないことが多過ぎて、得てして自暴自棄になります。

でも逆に、人生は何がおきるかわかりません。

希望を持てば必ずいいことがあると信じて、いつもトライアル&エラー、七転八倒で諦めずに前に向かって歩いてきましょう。

生きている以上、希望は必ずあります。

まとめ

私の人生も半世紀になりました。

長く生きていて思うことは、恋愛はしたほうが良いということです。

でも、その恋愛は、純粋であった方が良いと思います。

駆け引きや政治的なものが入れば入るほど、その後の人生はつらく悲しいものになる気がしてなりません。

これは私の偏見や思い込みかもしれませんが、世の中にはお金持ちと貧乏がいて、お金持ちの方が幸せと言うのが一般的な考え方だと思います。

でも、その幸せがいつまで続くのかは、誰にもわからないし保証もありません。

では何が必要なのかと考えれば、やはり、そこに必要なものは、純粋な心だと思います。

その心は貧富に関係なく、人として忘れてはならないものだと私は思います。