アラサーが出会い系で婚活してみた!

婚活
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私の年齢は26歳、職業はサラリーマンをしております。

営業職で、日々新規開拓をメインに、いろんな方と出会い、刺激を頂きながら勉強させて頂いております。

今回は、そんな私の恋愛から結婚までのプロセスをご説明できたらと思っております。

出会いは現代風の出会い系サイト

社会人になり、愛知県で1人暮らしを始めた私は彼女がどうしてもほしかったので、友達に勧められ、出会い系サイトを始めました。

信頼もしていなかったので、正直遊び半分で始め、2人の女性と出会いました。2人とも、まともな女性でしたが、私の理想とはかけ離れておりました。

しかし、3人目に出会った女性は一味違いました。今まで付き合ってきた女性とも違いました。

何が違うかというと、距離が友達に近いのです。

今までの彼女は変に気を使い、彼女として、女として扱なくてはならないと思っていました。

もちろん、出会った彼女にも気を使いはしますが、いやな気の使い方をせず、一緒にいられる、一緒に笑いあえる、男友達といるような感覚で、ふざけあえる。

そんな気の合う、友達のような感覚の彼女に出会ったことは今までなかったので、私は感動と衝撃を受けました。

彼女にひきつけられるかのように、出会った当日に告白しました。

それから、私たちのストーリーは始まったのです。

幸せな恋愛の日々

お互い年も同じです。

愛知県の中でも、私は岡崎市、彼女は豊橋市に住んでおり、車で1時間ほどの距離でした。

私は1人暮らしで、彼女は実家生活でした。

毎週のように、私たちはデートに行き、彼女は毎週のように私の一人暮らしの家に泊まりました。

夏の思い出は、お盆に行った和歌山のアドベンチャーワールドです。

愛知県から高速で、6時間かかりました。

アドベンチャーワールドは、夏のイベント限定でナイトイルカショーが開催されます。

見せ方がとてもうまく、私は涙を流しました。彼女と出会えて、ともに時間を過ごせている。

こんな幸せはないと感じておりました。

冬には、ディズニーに行きました。初めて、彼女と車で向い、夜に現地につき、車で彼女と一晩寝て過ごす。

私の車はウィッシュですので、寝転がることができるのです。

寒い中、彼女と毛布にくるまりながら一緒に寝たときも、私は幸せを感じておりました。

彼女と初めての体験が多かったですが、すべて楽しめたのです。

遠距離恋愛になる

年明けてから、私は仕事を変える決意をしました。

それは自分のためでもあり、彼女との将来のことを考えての決断でもありました。

毎日帰宅時間は10時をまわり、全国転勤もありの会社でした。

彼女とは、家を建て、一緒に幸せな家庭を暮したいという夢を語っており、その夢に近づく第一歩でもあると思ったのです。

仕事を無くし、転職活動を地元の滋賀ですることにしました。

ここから、彼女と私の遠距離恋愛がスタートするのです。

彼女は、今までの恋愛で遠距離をしたことがないと言っていたので、大丈夫かと心配にもなりました。

遠距離恋愛を初めて1か月がたった時のことです。

いつも通りデートをしていると、彼女の口から、予想もしない一言がでました。

好きかどうかわからない、親にも別れたほうがいいと言われたと。

私は、仕事を1年半ほどでやめたので、親からすると仕事が長続きしないので、社会性がないと思われておりました。

彼女は自分が好きな気持ちより、周りの評価を気にしていたのです。

プロポーズのタイミング

遠距離が始まって1年がたった冬、私は彼女と一緒に結婚したいという強い思いが生まれました。

彼女は昔からずっとプロポーズはディズニーのシンデレラ城の前でしてほしいと言っておりました。

年末にディズニーに行く約束がありましたので、彼女はおそらくそこでプロポーズをされると予想していたと思います。

彼女の思いも大切ですが、私はシンデレラ城前という目立つところより、イルミネーションを見ながら、サプライズで花束を渡したいという思いが強かったです。

そのため、福井の敦賀港にイルミネーションを見に行く予定がございましたので、そこでプロポーズすることを決意しました。

地元の花屋で、バラを108本束にしてもらい、彼女にばれないように車の後ろに積み、敦賀港で、バラの花束とリングとサプライズ動画を彼女に送りました。

彼女は号泣しておりました。

周りに人もいましたが、私たちは抱き合い、キスをし、これから2人で幸せに暮らしていこうと決意しました。

マリッジブルーになる

冬にプロポーズをしました。

彼女は保育士のため、1年前に仕事を辞めることを言わなければ仕事はやめれません。

そのため、プロポーズしてからも、遠距離恋愛は1年と少しは続くことになりました。

付き合っているうちは、早く結婚して一緒に住みたいと彼女も言っておりました。

しかし、彼女はいまだかつて地元から離れたことがございません。

一人暮らしをしたこともなく、愛知の地元からほとんど離れたことがない子でした。

結婚して、私の地元の滋賀で住むことに関して、彼女のことを心配もしておりました。

心配していたことが的中したのです。

結婚が近づいてきた半年前、彼女はまたすきかどうかわからないと私に告げたのです。

彼女の親が不安定で、いろいろな不安を私にぶつけ、彼女はすべてを一度リセットしたかったのでしょう。

それが結婚の半年前です。それから、1か月おきに、彼女は不安な気持ちを私にぶつけ、私のことがすきかどうかわからない、地元を離れ生きていく自信がないと言い始めたのです。

マリッジブルーに慣れてきた

何度もマリッジブルーに向き合い続け、彼女はついに追いこまれてしまいました。

そして、彼女の口から別れようと言ってきたのです。

約3年弱につきあったので、電話やラインのやり取りで最後になるのはさみしいので、私は最後会ってお別れしようと言いました。

彼女の気持ちはもう別れる形で、動かないと思っておりましたので、当日私も気持ちを切り替えて、笑顔で最後を過ごそうと考えておりました。

飲み屋で乾杯し、いろいろな話をしました。

今までのこと、将来のこと、そのような話をする中で、彼女の目に涙がこぼれました。

私は驚きを隠せませんでした。

彼女の中で、私と別れる決意が固まっているのに、私のほうがふっきれていたのです。

最後の夜ということで、彼女と寝て、最後お別れをしました。

しかし、お別れした瞬間、彼女からラインがきました。

別れたくないと。

お互いの強い気持ちが糸で結ばれたような気持になりました。

そこから、彼女はいろいろなことに向き合うようになり、私との関係もさらによくなり、結婚まで残り数か月です。

出会い系からの結婚

私はプロポーズした経験は人生でこれが初めてです。

よく女性はマリッジブルーになると言われますが、これだけの回数なるとは考えていませんでした。

彼女とこのような経験をしたことで、結婚はお互いの気持ちだけではないと深く学びました。

お互いが結婚したいという気持ちが一番大切です。

しかし、両親が必ず関わってくるのです。

結婚式の主役は彼女です。

彼女の意見を優先してあげることも大切ですが、両方の親の意見を聞き、お互いが納得いくところで、おさめるのが、新郎である私の宿命であるのかなとも感じました。

今現在も、まとめあげることに苦労をしておりますが、彼女がどんなことがあっても向き合って頑張ると心の底から言ってくれてました。

何度もマリッジブルーになったとき、支えてくれたのは私であり、私に甘えていた自分がいたと彼女が言ってくれたのです。

だからこそ、私は一生のパートナーとしてともに歩む決意がついたのです。

結婚したいと思える女。

だからこそ、私は一生のパートナーとしてともに歩む決意がついたのです。

結婚したいと思える女性は大切にしていきましょう。

性は大切にしていきましょう。