大学卒業を控えている24歳女子です。
卒業後はNPO法人で業務委託で働きながら自分のやりたい勉強も続ける予定。
趣味はミュージカルと海外に旅行に行くこと。
特技は英語・韓国語と歌うこと。
彼氏・彼女の定義とは?
世間一般において、彼氏の定義は一体何なのでしょうか?
互いに気持ちを確認し合い、いつしか一緒にいるようになった相手なのでしょうか、それとも「あなたのことが好きです。付き合ってください」という言葉を交わした相手なのでしょうか?
個人の価値観によってその答えは変わってくるのかもしれませんが、大体の人は「付き合って」という言葉を交わした人が彼氏・彼女だという認識を持っていると思います。
私は、自分にとって初めての彼氏が誰であったのか、はっきりと確信を持って伝えられません。
…はい。覚えてません。
大学入学後、何となくお互いに好意を持って一緒にいるようになり、周囲の人々もいわゆるカップルとして私たちのことを認識していた人がいました。
身体の関係にまでは至らなかったものの、確かに私たちは付き合っているのと変わらない関係性だったと思います。
でも、「付き合って」その言葉はありませんでした。
その次の人も、その次の次の人も、気がついたら付き合っているような状態になっていただけで、しっかりと告白をして彼氏、彼女になる、という経験はほとんどありません。
外国人とのお付き合いの始まり
これまでに色々な方とお付き合いをしてきましたが、「好きです。付き合ってください。」という言葉はなしに関係性が始まり、そして終わるということが多々ありました。
私の周囲の友人たちは、私に「きちんとした恋愛をしていない」「それは彼氏と言えるのかどうか」と心配・指摘する人もいました。
しかし、それを聞くたびに私は思うのです。
「付き合ってください」というプロセスを踏まないのはおかしいのだろうか?と。
そして、この考えは私に外国人の彼氏が出来たときに一応の答えが出ました。
世界6カ国を半年間かけて旅をしながら旅先でショーを披露する、そんなプログラムに参加した時に彼とは出会いました。
私より一歳年下のアメリカ人でした。
私が期間中に怪我をして落ち込んだ投稿をFacebookにした時、わざわざ翻訳アプリを使って日本語で励ましてくれたことがきっかけで距離が近付き始めました。
“”You wanna be my girlfriend?””そんな言葉はなしに一緒にいるようになりましたが、寡黙な彼がどう考えているかわからなかったので私が””Are we a couple right now?””と聞いて関係性をはっきりさせました。
のちにいつから付き合っている認識だったか聞いたところ、私がその質問をするよりも前から付き合っている認識だったと聞き、さらに周りの友人もそう認識していたと聞きました。
日本ほどはっきりと「付き合ってほしい」という言葉を使わずに関係性がスタートする外国人と実際に付き合ってみて、大事なのは言葉じゃないと実感しました。
片想いだと続く、両想いだと続かない
24年間の人生で、これまでに自分から好きだったと言える人が3人います。
1人は小学校の時に習っていた塾の先生。
2人目は大学に入って入団したミュージカルサークルの先輩。
3人目は自身が演出を務めた社会人ミュージカルのキャスト。
先生と先輩には4年間と2年間、片想いをしていました。
この3人の誰とも、私は付き合ってはいません。
全員が片想いでした。
楽しいことも辛いこともある片想いだけれど、周りが驚くくらい、長く一人一人のことを好きでいました。
いい思い出です。
さて、私がこれまでにお付き合いした人は6人います。
復縁した人を2回カウントすると7人です。
残念ながら、この7人のうち6人は、付き合ってたった半年でお別れすることになりました。
1人は、海外との遠距離恋愛だったから続いたけれど実質は7ヶ月くらいでした。
相手から告白されるか、なんとなく一緒にいたらそんな関係性になっていたことで彼氏になっていた彼ら。
嫌いだったわけではなく、むしろ好きだったはずです。
でも、なぜか続かない。
私はいつも、自分から好きだった3人と比較してそこまで好きになれない自分がいると思っていました。
とにかく相手のことを追いかけていたいタイプで、振り向かれると冷めてしまう。
愛されるよりも愛したい。
そんな私のことを友人は不幸体質と呼んでいます。
「好き」を探して三千里
「好き」の定義ってなんなんだろう。
この疑問を考え始めて、いまだに答えは出ていません。
ただ、一つ思うのは、自分が相手とどうなりたいかを考えているのが「好き」の感情で、自分と相手の関係性は置いておいてただ純粋に相手が幸せでいればそれでいい、そう思えるのが「愛」なのではないか、そんな風に思っています。
でも、そうなると私が相手の幸せを願うときは大体片想いで、好きも超えて愛の境地に達している。
となると、自分が好きになった人と付き合うのはなかなか難しいような気がする・・・事実、これまで好きだった人とは誰とも付き合っていないし、なんなら3人いた人のうち2人には告白して玉砕しました。
「愛された方が絶対幸せになれる」そういう友人たちの言葉を全否定して恋愛してきましたが、私にとっての恋愛はあくまで片想いであって、人と付き合う意味や付き合った人への「好き」の感情がいまだによく分からずいます。
そんなことを言っているのになんとなく関係性が出来ていくこの状況。
やっぱり付き合ってほしい、というプロセスをきちんと踏むべきなんだろうか・・・。
自己犠牲と愛の違いとは
自分が相手と付き合えなくても、相手が幸せであればそれでいいーそんなことを思っているけれど、じゃあ、自分は?それは愛と呼べるのか・・・。
友人に言われてすごくハッとさせられた言葉があります。
「自らが水の注がれるコップだとして、コップが水で溢れかえっていてその溢れちゃった水を相手に与えるのが愛。自分のコップは満杯ではないのに、自らその中の量を減らして相手に水を与えようとするのが、自己犠牲である。」
と言われました。
衝撃でした。
私は愛の名の下に自らの行動を正当化していたけれど、実はただたの自己犠牲でしかなかったんじゃないか、そんな考えが浮かびました。
無条件に与えるものが愛かもしれないけど、それは自分をすり減らしてまで与えるものではないんじゃないか、とか、自己犠牲をしているという自覚さえあればそれでもいいんじゃないか、とか、色々な考えがいまだに頭の中をぐるぐるしていて正直よくわかりません。
愛って難しい・・・
恋愛のおやすみ期間も必要
最後の彼氏と別れてから、4ヶ月が経ちました。
実はこれ、私の彼氏歴(?)の中ではいない歴が最長になります。
4ヶ月が最長ってどういうことなんだとよく言われますが、平均3週間ほどで次の人と付き合ってきたのでそういうことになっています。
なんかそんな感じでのらりくらりと付き合っては簡単に別れて・・ということを繰り返してきているように思います。
これまでは、若気の至り、若さゆえ、と言ってごまかしてきましたが、先日24歳の誕生日を迎えて思いました。
これではいけないのではないかと。
留学や休学をへて6年間在学していた大学もいよいよ卒業を迎え、遂に正式に社会人になります。
これまでとは人生に区切りがついてまた新たなスタートです。
恋愛に関してもこのままじゃダメなんじゃないか、そんな気持ちでいっぱいになりました。
もっとしっかりしたい、だからもっと自分を見つめ直して色々と内省するべきだという考えに至りました。
なので、恋愛をちょっとおやすみしたいと思っています。
そんなこと言ってまた軽率に?付き合っちゃいそうだけど・・・・
恋愛って難しい。
というよりよく分からない。
24歳にもなりながらこんなことを言っているのもどうかと思うけれど、実際、恋愛ってよく分かりません。
結構、変わった恋愛観の持ち主だという自覚はあるけれど、そろそろちゃんとしたい、でもよく分からん。
そんなことを繰り返しています。
一番最近片想いしていた人には、私は自らのコップの水をすり減らして相手に水を注いでいたように思います。
自己犠牲の塊だった気がします。
その経験を経て、あんなに頑なだった私の一つの恋愛観に変化が生じました。
「愛し続けるよりも、愛されるのが幸せになれるのかもしれない」と。
個人的にそう思ったのは自分自身にショックというか、衝撃が本当に大きくて、それだけの経験だったんだなあと思っています。
同時に、どれだけ変わることがないと思っている自分の価値観も急にひっくり返ることがあるんだと改めて思いました。
恋愛は難しいけれど、自分自身を成長させていきながら、いつか違いを尊重しあい愛し合える人と出会いたい。
そんなことを今日も思っています。