私は現在46歳、福岡県在住の専業主婦です。
3人の子どもがいますが、子どもが多いと日々のちょっとしたトラブルも多く、あまりのんびりした生活はしていませんが、3人の子どもに囲まれ、忙しいながらも充実しています。
引っ込み思案で臆病な私
私は、26歳の時に結婚しました。
物心ついた頃には既に引っ込み思案で、いつも母の後ろに隠れている様なそんな大人しい子どもでした。
そんな私が結婚に至るまでにはかなり紆余曲折あります。
私が初めて彼氏と呼べる人と付き合ったのは、中学3年生です。
当時、彼は彼女と別れたばかりで、いわゆる当てつけに誰かと付き合いたかったのでしょう。
私もそれがわかっていましたし、ましてや引っ込み思案、うまく行くはずもなく高校に進学後に自然消滅しました。
高校生になり、仲良くなった女友達から高2の時に他の学校の男子を紹介され、会ってみました。
会ってみて第一印象、タイプではない…でした。
しかし、紹介してくれた友達の手前、そのまま帰るわけにもいかず、一緒に公園などに行きましたが、話が全く噛み合わない。
ヤンキーネタが多く、真面目で生きてきた私には謎すぎて、後日友達を通じて断りました。
その後、2年は男子と接触することもなく、このまま私は何の楽しみもなく、老けて行くんだ…どうやったら男子と話ができるのだろう…と日々疑問な生活を送りました。
臆病なわたしが、初めての合コン
私に転機があったのは、19歳の夏。
中学時代からの友達から突然電話がありました。
今度、一緒に遊びに行かない?との誘いで、OKしました。
約束の日、友達は既に社会人になっていたので車で迎えにきてくれて、他の友達と待ち合わせているという居酒屋さんに行きました。
そこには、顔見知りな子が2人いて、更に男性が4人いました。
私はよくわかっていなかっただけで、つまり合コンでした。
そして、よくわからないまま飲み会が始まり、誰だかわからない男性にどう接していいのかわからずに友達と話をしていました。
どうやら、私以外の3人は、元々男性4人と知り合いらしく、そのうち2人は意中の男性がいると知りました。
それを理解し、ということは、その2人以外の男性と話をしないといけないということになり、何故かそのうちの1人と無理矢理くっつけられそうになりました。
そもそも私は人見知りだし、よくわからない男性と付き合うのは嫌だったので、遠巻きに話を聞いていました。
友達が、どうしても(意中の)彼とデートに行きたいから、一緒にダブルデートしてくれと頼まれ、後日、ダブルデートすることになりました。
ダブルデートから結婚へ
友達に無理矢理連れて行かれたダブルデート。
乗り気では無かったですが、しかしデートというものに興味はあり、自分なりにオシャレをして出かけました。
4人で一台の車に乗り、遊園地へ行きました。
友達は大喜びでしたが、昔から人の微妙な本心が読める私は、友達が狙っている男性は、友達のことはあまり好きではないというのがわかりましたが、どうやら、その男性の友達(私の相手)に気を使ってダブルデートに来た感じでした。
後日、私は私がデートした相手から、付き合おうと言われ、付き合うことになりそれから7年後、結婚しました。
結婚までには紆余曲折、私の両親の猛反対があり、別れ話も何度かありました。
両親が言うには、彼には学歴がない、見た目がパッとしない、とのことで、私も若かったため、学歴がなによ?性格が良ければいい!なんて意地になっていました。
散々親からは、付き合いをやめるようにいわれましたが、私も全く聞かず、最後には親も折れ、結婚しました。
親の意見は案外正しいかも…
散々親を困らせて結婚しましたが、それから2年、離婚しました。
本当にそうだと思う!
離婚した夫婦から
すんごく!よく聞く話。
実は、付き合い長くなっていくうちに、彼のモラハラ発言が目立つようになっていたのですが、私が世間を知らなさすぎて、それも愛情のうちだと勘違いしてしまっていたのです。
結婚後はもっと加速し、結婚したのだから自分の所有物みたいな扱いをしだしました。
ご飯や家事への文句、自分の酒の買い置きがないことへの文句、次第に悪化し、お酒を飲んでは私を侮辱することをいうようになり、妊娠中なのに殴られそうになった私は、走って逃げたこともあります。
出産後は更に悪化し、ついには私は子どもを連れて実家へ逃げ帰りましたが、母には家に帰るように言われ追い返されました。
それから半年は辛抱しましたが、モラハラは更に悪化して、2度目の実家へ。
父は、だから最初から言ってたのに…といいつつも私を受け入れ、散々揉めに揉めましたが2年後に離婚しました。
離婚するまでの2年の間も、毎日の様に嫌がらせの電話を受けていました。
きっかけは突然、出会いは直ぐにあった
離婚してから私はアパートに引っ越して子どもと2人で頑張っていました。
朝は6時に起きてお弁当を作り、保育所に預け、フルタイムで働き18時にお迎えという日々。
子どもには毎朝泣きつかれ、私も辛かったですが、生活のために頑張りました。
別居中から養育費はもらっておらず離婚後も養育費はもらっていませんでした。
養育費は子どもがもらえる権利ですが、私は、どうしてもいつまでも付きまとわれるのが嫌で、最初から養育費の請求はしませんでした。
微々たるお金で、大きな顔をされるのがたまらなく嫌だったのと、2度と関わりたくない思いの方が強かったのだと思います。
給料は手取り13万と少なかったですが、児童扶養手当のお蔭もあり、なんとか生活できていました。
毎日、保育所と職場と家の往復をしていましたが、そんな時、地域の趣味友のサークルがあると知り、登録しました。
パン屋さんが大好きな人の集まりで、ネット上でお互いの知り得た情報交換をしていました。
ある日、幸せが歩いてきた。
パン屋さんは、金銭的にそんなに行けませんでしたが、美味しそうなパンの画像を見るのが好きで、ネットを利用していました。
そんなある日、比較的近くに住んでいるであろう男性とパン屋さんの話で盛り上がり、メールをするようになりました。
メールをするようになって、パン屋さん以外の話もするようになり、シングルマザーであること、私の子どもの話などをしたり、その男性の仕事の愚痴なども聞いたりしていくうちに、興味がでてきました。
そんなある日、私の子どもが友達とトラブルになり、頭を打ったため病院に行くことになり、私は打った場所が頭ということでパニクってしまい、急患で連れて行った病院で、その男性にメールをしてしまいました。
するとその男性は、直ぐに自分も行くと言い出し、私もびっくりしましたが、子どもはとりあえず無事で、様子を見ることになったので、お断りしました。
しかし、子どもがきっかけで、その後も男性は心配のメールを頻繁にしてくれたりして、仲良くなりそれから2年…
私たちは結婚しました。
私は、結婚は2度しました。
1回目は、未熟で無知な私が周りに巻き込まれて、自分でもしらないうちに呪縛にはまり、結婚することに執着してしまい結果的に失敗してしまいました。
1度目の失敗から学んだことは、恋愛中の失敗なら何度してもいいということです。
恋愛経験が少ないと、男性に耐性がないので、それが正常なのか異常なのかの判断がつきにくく、自分が間違っているのかも…と目を瞑ってしまい、それがズルズルと続いてしまう。
誰だって傷つきたくはないけど傷つかないと気づかないこともあると思います。
私の場合は、モラハラな男性にハマってしまったわけですが、モラハラの男性とは、見方を変えれば、自分についてこいってタイプなので、なかなか関係が進まないと見抜けないとは思います。
1つ言えることは、自分に自信が無いタイプほど虚勢をはっているので、妙に強気な発言をする男性は気をつけた方が良いと思います。
私の今の主人は、全くと言っていいほど、虚勢をはりません。