アラフォー男の淡い失恋最終話

失恋
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片思いの帰国女子

 高校時代は全く勉強せずに遊んでいましたから、当然の如く大学受験に失敗しました。

 一年間親元を離れて東京で浪人生活を送ることになりましたが、同じ予備校に通う子が可愛くて、わずか一週間で片思いになってしまいました。自分の女の子への惚れっぽさは、もはや病気といえるでしょう。

 私の態度が露骨だったためか、春が終わる頃には、本人もそれとなく私の気持ちに気付くようになったようで、妙によそよそしい態度を示すようになりました。

私はいてもたってもいられない心境になり、彼女に告白してしまいましたが、受験勉強に専念したいから、と断られてしまいました。

 ところが、それから一年後。

 互いに大学受験に合格してそれぞれ別の大学に進学してからにこと。

 大学に進んでから好きな子ができたものの、恋愛下手のため誰にも相談できず、ふと浪人時代に片思いだった子のことを思い出しました。

どうしているか気になったこともあり、その子にメールをしてみたところ、妙に話が弾み、一緒にデートをする仲になりました。

 ある日、その子の家に泊まらせてもらうことになりましたが、私は自分の通う大学で片思いの子がいたため、自分の今の気持ちを裏切ってしまうと思い、何もなく過ごしました。

 当時はそんな自分がストイックだなどと勘違いしたものですが、自宅に泊めてくれるようなその子の気持ちを考えると、私という人間は、なんと自己中心的な人間だったんだろうか、と悔やまれてなりません。

初めての告白

 高校時代は演劇をやっていました。

 その地区の高校演劇部がみんな集まり、他校の舞台設置や照明操作の手伝いなどを協力して行うプロジェクトチームを結成していたのです。

 専門家の指導のもと、今思い出してもかなり専門的な作業をやっていました。

 そんな中、私が友人たちと小道具でふざけあっていると、造花を私の背中に押し込んで遊びに混ざってくる女子がいました。

他校のMちゃんでした。

この時が初対面でしたが、私ははっとしました。中学生の頃に片思いだった後輩の子とそっくりだったからです。

 これは一目ぼれでした。

かつて好きだった子と似ているというのも一目ぼれの定義に当てはまるかどうかわかりませんが、それ以来、プロジェクトチームではMちゃんの姿を探すことが多くなりました。

 高校が違うためMちゃんには滅多に会うことができず、また現代のような携帯電話もまだ持ち合わせていませんでしたから、いつもMちゃんと接点を持ちたいと考えていました。

そうこうしているうちに、互いに高校二年生の夏が終わってしまいました。

あと一年したら、高校を卒業し、楽しいプロジェクトチームも解散になってしまう・・・そんな焦りを感じ、思い切ってMちゃんの自宅に電話をして、Mちゃんの自宅近くの川のほとりで告白をしました。

 返事は「NO」でしたが、生まれて初めて好きだという思いを相手に伝えられて、悲しさよりも気持ちがスッキリしたのを覚えています。

社会人の片思い

 ラストの失恋体験は、社会人一年生の冬です。

 相手は、同じ勤務先に勤める女子でした。

 いま思い出しても、あまり可愛い子ではありませんでしたが、とにかく元気で活発な子でしたから、周りの男子からは割とモテていました。

 そうした空気にあてられてしまったのか、私もその子のことが気になるようになっていきました。

 なんどかデートに誘ったみましたが、いつもなぜかその子の友人がくっついてきて、二人きりにはなれませんでした。

 ある冬の日に、男子だけで飲み会を開いたところ、その女子の話題になりました。

どうも、一人がその子にフラれてしまったようだったのです。

静かに話を聞いているうちに、その子は同じ部署の先輩と不倫しているのが発覚しました。

その事実を知ってしまったがために、彼女が強い拒否反応を示してきたとのことでした。

 その飲み会の次の日、その子がすごい剣幕でなぜか私を問い詰めてきました。何か変な噂を聞かなかったか、そしてそれを誰かに流したりしていなかったか、と。

 そのとき、私は気が付いたのです。

その子は、私の気持ちなどはとうの昔から気が付いていたものの、そうした想いに応えられない・・。

むしろ、自分の不倫の秘密を暴かれたくない。

そう思って、私と接する時、いつも隣に自分の友人を配置していたのでした。

 私はその子に無実を言い放ち、以後は連絡先も削除し、転勤するまでの間、そのことは口も利かなくなってしまいました。

 私のなにが悪かったのか・・・。

多分、男性視点と女性視点で意見が分かれるエピソードだと思います。

失恋の経験を活かす

 世間一般の概念として、恋愛は人生をドラマチックに彩る大切な要素として捉えられているかと思います。

 ところが、私はたびたび失恋を繰り返したせいか、恋をすることに疲れてしまいました。

そして、なぜ疲れるのかを考えたときに、恋とは自己中心の概念だからだと悟ったのです。

 二村ヒトシ著の『なぜあなたは愛してくれない人を好きになるのか』にも書かれていますが、恋とは自分のためにするものであって、愛とは他人のためにするものです。

 ですから、恋に熱心になってしまうと、自分の願望を全力で追い求めるわけですから疲れてしまうのでしょう。

一方の愛とは、自己犠牲にしてでも支えたい相手への感情のことで、親やわが子への愛情が代表的なものだと思います。

 たぶん世界の誰よりも失恋を経験したヘタレキングだからこそ言えることですが、人生を本当に彩ることができるのは、恋などではなく、如何に愛を捧げられる相手を増やせるか、だと思います。

むしろ、恋は重ねれば重ねるほど欲望が実らないストレスで押しつぶされてしまい、性格の破綻にすらつながりうるのでは、とすら考えています。

確かに、恋している時というのは、ハッピーな気分になるものなんですが・・・。

 失恋でお悩みの方は、一度その感情が恋なのか愛なのか、見つめ直してみてはいかがでしょうか。

それが、失恋の経験を活かすということにもつながることでしょうから。